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記事一覧
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SEO対策は、教材で勉強した方がいいのか。
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SEO対策だけをしていても、webサイトの内容だけを充実させていても、どちらか一方だけでは検索順位を大きく改善させることはできません。
しっかりとした知識に基づいたSEO対策と、ソーシャルのニーズを把握したサイト内容の更新が伴って検索順位は大きく飛躍するのです。
しかし、どちらも1人で行うのは大変な作業と知識を知識を必要とします。
そこで、是非とも利用するべきなのはSEOコンサルティングなどのサービスです。
中にはSEO教材を購入し、自分で勉強をした後にSEO対策を行いたいという人もいます。
しかし、それでしたら高い料金で教材を購入するよりも、SEO対策を行ってくれるSEO業者に被リンクなどを依頼した方がコストパフォーマンスの面でも優れています。
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多賀延夫
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多賀延夫 『石など』 この絵のやうな画風をどんどんと追求して行つたら独自的な世界へゆくと思ふ。態度も素朴であるし、対象の理解も複雑である。石と鉄片の構成は面白いし、殊に石とか鉄片とかいふ物質に関心をもち、これらの粗雑な物質の表面の凸起面の描写に苦心してゐることは判る。題材は良し、残るところは描き方だけである。
三岸好太郎 この室には三岸の遺作が列んでゐる。『貝がら』とか『海と射光』とか『海洋を渡る蝶』といつたシュールリアリズムとしての彼の題材のものに矢張り好感がもてる『立てる道化』といつたクラシック張りは三岸でなくても誰でもやれる仕事である。
クラシックとモダニズムとの矛盾の児と彼を呼ぶことに異議があるまい。もう少し彼を永生きさせてをいたら相当面白い仕事をしてくれたと思ふが、中途半端な仕事で夭折したことは惜しい。彼は好んで蝶を海の上に飛ばせる。それは彼の近代人としての不安感の表現である。
ダリの頭にヱルンストの尻尾をくつつけて自己の物と主張してゐる風な画家が少くない折柄、三岸のものは人柄がでゝ気が置けなく見れて良い、やうやく少しばかり彼の独創性が加はりかけてきたのに惜しいことをした。私は彼の絵は好きでない。才能が好きである。
http://tonikaku.point-b.jp/b/index.php?year=2013&mon=05&day=21&cd=1
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吉原義彦
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吉原義彦 リアリスト吉原の作画態度や、今度の独立への出品画に就いては、もつと採りあげて問題にしていゝ。殊に若い画家達の間には、リアリズムに就いてかなり関心を深めてその方向に画風を進めてゐる人が少くないだけに、吉原の仕事の進め方の検討は意義がある。絵画上のリアリズム論は茲では措いて、私は『オルガに扮せる原泉子』では、まだまだ手も足もでないリアリズムを感ずる。ブルジョア的写実主義者の作画上の自由性と新しい写実主義者殊に何等か仕事の上に社会性を附与しようと企てゝゐる、画家の作画上の自由性とは、それぞれ制約するものがちがつてゐる。吉原の場合ブルジョア的な自由は欲しないだらう。だが見給へ。ブルジョア的な自由主義画家がいかに勝手にふるまつてゐるかといふことを。その意味に於いて吉原はもつと大いに勝手にふるまつて良い。吉原の絵を見ると建設的要素は多いが、破壊的要素が少ない。然もこれらの要素を吉原は絵の上では個人的立場に解決してゐる。もつとリアリズムの守り手として、旧来の絵画上の諸秩序の打ちこはし手として吉原の創造性を発揮してもらひたいし、若い後進のためにリアリズムの基本的方向を示してやるべきだ。 http://tonikaku.point-b.jp/b/index.php?year=2013&mon=05&day=21&cd=1
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